高校生

バレーボールばかりした3年間だった。

 

中学の時に腰を痛めてしまったので、高校でバレーをすることに親は反対していたし、自分も3年間続けられるか不安があった。

自己推薦という形で早稲田の付属に入学したが、その試験の合格発表の時、学校まで行って、掲示板に自分の番号を見つけて、書類をもらい帰ろうとしていた時、学校に向かってくる集団の中に、見覚えのある顔を見つけた。

 

中学が同じ地区でよく試合をしていたチームのセッターだった。あまり上手ではない印象だったので、もしバレーを続けるとしたら3年間この人のトスを打つのかー、嫌だなと思ってしまった。(高校受験が終わってから腰の手術をした)

 

入学して学年全体でのオリエンテーションの時、突然「西葛西中のキャプテンだよね?」と声をかけられた。びっくりして振り返るとあのセッターだった。

 

のちに彼は合格発表の場で僕を見てバレーを続けようと思ったと言ってくれた。彼は自分が今まで出会った中でも一番の努力家だと思う。

どんどん上手くなった。

自分も一生懸命練習した。月刊バレーボールを穴があくまで読んだ。プロの動画をたくさん見て研究した。

 

幸いにも先輩方もとても上手い人たちで非常に勉強になったし、自分たちの代もたくさん経験者が入ってくれて、選手層も厚かった。

 

早大学院バレー部で最も恵まれた3年間を送ったのが僕らだと言っても過言ではないくらいだと思う。

 

それくらいバレーが楽しかったし、仲間がいいやつばかりだった。

 

同じくらい熱中したのは音楽だ。

毎日毎日新しい音楽に出会ってとても充実していたと思う。

 

一人で自分と初めて向き合った三年間だった。

大学生

大学時代のテーマは、

振り返って考えてみると「コンプレックスとどう向き合うか」だったように思う。

 

大学に入学したての頃、一番のコンプレックスは、頭が悪い、知識がないということだった。それは自分が受験をせずに最終学歴地に到達してしまったことが原因で、周りの学生との学力の差や、一人の人間として自立している様子からくるものだ。

勉強するということ、それを継続することはとても知性や自立性が必要となることだと思う。孤独であるから。

 

正直に言うとこの問題は解消されずにここまで来てしまった。僕は今でも自分のことを幼いと思っている。前頭前野が発達していない。恋愛もほとんどしなかった。できなかったのか、しなかったのかはよくわからないけれど、これも自分の幼さの要因のように感じる。

 

他にも新しい環境にチャレンジすることが苦手だ。例えば大学に入り、新しくスポーツを始めて、経験者のなかで練習していく、といったことができない。恥のようなものを捨てられないのだ。

 

はじめはバンドサークルに入ろうかな、と思っていたけれど結局どのサークルもノリが合わず入らなかった。今思うと一番の理由はノリの違いではなく、新しい人や環境の中に入ることができなかったことではないかと思う。

 

そんな中でも成長することはできたと思うし、人見知りも減ったと思う。自分が選んだ仕事は自分が対人関係において一番苦手な部分がとても大切になってくるものだ。

 

今はただ頑張るしかない、と思っている。